学校の概要
学  区

 学区は仙台市の南部に位置し,広瀬川と名取川に挟まれた平坦地で,郡山と呼ばれている。郡山地域一帯からは古代の遺跡が発掘され,縄文時代以降の土器・古瓦の破片等が多数出土している。7世紀から8世紀にかけての役所跡,寺院跡からなる郡山遺跡及び弥生時代の墓地跡とされる西台畑遺跡は有名である。
 
 学区の西方には南北に走る東北新幹線とJR東北線,それに並行する国道4号線が通り,東方には仙台バイパスが通じている。学区内道路は道幅が狭く交通量が多い。
 
 学校の西に高層市営住宅,南に公務員住宅が隣接して建ち並び,転出入児童が多い。

 昭和60年4月に郡山小学校が新設され,仙台バイパスから東側(北目学区)が学区から除外された。

 現在は,長町副都心計画のもと,学区の西側,旧長町貨物駅跡地から広瀬側に至るJR東北線沿線が進行しており,学区の様相も大きく変わろうとしている。

 長町副都心計画を中心とした町づくり推進プロジェクトには,高学年児童が総合的な学習の一環として,「環境のやさしい町づくり・未来の副都心」「未来の中央公園」の模型を作成し,住民に披露するなど,地域を愛し,地域に根ざした,共に生きる学習を大切にしている。

校 章 の 由 来

伊達家の家紋である竹に雀・萩の花・太陽・木・長町の長を組み合わせて,図案化。

笹の葉3枚の組み合わせにより,羽を広げて空を飛ぶ雀の姿を表現している。

「東」は長町を表し,組み合わせて東長町を表す。

中央の円は「日」を表す。円上の6点を結ぶと「木」となり,組み合わせにより「東」となる。

萩の葉の6弁は,創立当時の学区内の6地区を表している。

校 木

 郡山地区は,昔の役所があった地域で,遺跡が数多く発掘されている。
 昔は,人の集まるところに,赤い椿と白い椿を植えていたという。郡山地区にも,例にもれずたくさんの椿が群生していたものと思われる。その名残と思われる椿が開校当時,学校敷地の周囲にたくさん残っており,地域の住民からは「椿が原」と呼ばれていたという。
 冬の寒さに耐え,雪中に赤い花を咲かせる椿に強い生命力を感じ,校木に制定したものと思われる。

(学名) Camellia Japonica Linn

(和名) ヤブツバキ

(特徴) 常緑,風雪に耐えて春を告げ,他の花にさきがけて,
     美しいみごとな花を咲かせる。

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