学校の概要


学校の概要
 中田学区は,仙台市の南端に位置し,東は袋原小学区に,西は東北本線を境界として西中田小学区に,南は名取市,北は名取川をはさみ,大野田小学区,東長町小学区及び郡山小学区に隣接する。
 「長町や中田の駒を増田まで もの岩沼に槻木の土手」と奥州道中歌の一節にも詠われていほど藩政時代には宿駅として発達したところである。
 現在の国道4号線は当時の奥州街道であり,沿線には多くの商家が軒を連ね,学区唯一の商家街を形成していたが,周辺はのどかな田園風景が広がっていた。 近年,急激に都市化が進み,かつて都市近郊の農村地帯として野菜等の出荷地も住宅街が形成されてきた。
 児童数の増加に伴い,昭和40年4月に仙台市立四郎丸小学校が,昭和51年4月には仙台市立袋原小学校が開校され,本校よりそれぞれ520名,115名の児童が移籍していった。
 昭和57年には児童数が1400名を超え,昭和58年4月新幹線近くの西中田地区に仙台市立西中田小学校が開校し711名の児童が移籍していった。
 平成5年4月には16学級,児童数480名にの在籍となったが,平成7年4月には児童の増加により19学級,児童数530名を超えた。その後バイパス沿いにマンションが建設されるなどして,平成16年度は児童数539名(5月1日現在)を超え,中田小学区は仙台市の南の玄関として発展しつつある。
 文化年間(1804〜1818年)に,当時中田地区四郎丸出身の菅井梅関(すがいばいかん)は,遠く長崎に出かけ,清国人画家である江稼圃(こうかほ)に師事し,江戸時代の南画三大家にまで挙げられるようになった。
 校章はこの新進気鋭の画家「梅関」の「梅」にあやかり紅梅花を図案化したものである。また,校木については,校章と同じ由来により「紅梅花」とした。
↑「文 の 林」

      B 中田小学校校歌

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