留守氏の大規模な山城跡。東北地方における典型的な中世城館跡。
いわきりじょうあと
岩切城跡
Iwakirijo Ato
▼ In English
解説
Description
岩切城跡は,JR岩切駅の北西1.3kmに位置し,仙台市と利府町にまたがる大規模な山城で,この内中心部の東西約600m,南北約650mの範囲が,史跡指定となっている。最も高い所で標高約106mあり,七北田川流域一帯の平野を眺望することができる。現状は杉林,雑木林,原野で,今も各所に堀切(ほりきり)や土塁を見ることができ,桜の名所としても名高い。昭和10年(1935)の発掘調査により柱穴が多数発見され,城に関わる建物の存在が明らかになった。初めて文献に見えるのは,観応2年(1351),足利直義方の奥州管領・吉良貞家が,岩切城にたてこもる足利尊氏方の奥州管領・畠山高国・国氏父子と留守氏を攻め滅ぼした戦いの記載で,全国的な内乱であった観応の擾乱(かんのうのじょうらん)の地として知られる。留守氏の居城とされ,戦国時代の留守氏当主は岩切城のある高森山に由来して高森殿とも呼ばれた。留守氏が利府城に移った永禄13年(1570),廃城になったとされる。東北地方における典型的な中世城館跡である。