今は絶えた泉地区の「奴(やっこ)田植」の影響を見せる田植踊
おおくらのやくにんたうえおどり
大倉の役人田植踊
Okura no Yakunin Taueodori
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解説
Description
大倉は広瀬川支流大倉川流域一帯の山岳地帯で,地名は中世の支配者大倉氏によるものと伝わる。この田植踊は,天保年間(1830~1844)大倉日向地区に京都生まれの源宗という嫌われ者の若い法印(ほういん)がいて,村人たちは路銀を出しあって帰してやったが,三年後の正月ひょっこり姿を見せ,以前世話になったお礼にと,京で覚えたという踊りを村人に手ほどきしたのが始まりと伝えられている。「役人」とは,「鬼人(えんぶり)」と呼ばれる弥十郎(やんじゅうろう)の長が,田の神の役を勤める意味である。装束は,弥十郎の長である鬼人が頭に日月の引立烏帽子(えぼし)をかぶり背に神武天皇と書いた陣羽織を着て,手に鳴子のついた「えんぶり」を持つ。弥十郎は青い手甲(てこう)に手太鼓とばちを持って踊る。早乙女(さおとめ)は白い波兎のはね返しの模様をあしらった黒振袖に,あでやかな花笠をかぶる。踊りは,誉め言葉や返し言葉があるのは他の踊組と同じだが,鬼人が唱える口上,弥十郎が打つ手太鼓,早乙女の歌や舞振りに,他の田植踊にはない特徴がみられ,今は絶えた泉地区の「奴(やっこ)田植」の影響が強くみられる。(演じられる時期と場所 旧7月6日 定義如来(じょうぎにょらい)夏祭)