仙台では珍しく,独特の面をつける田植踊
いもざわのたうえおどり
芋沢の田植踊
Imozawa no Taueodori
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解説
Description
この地に残る田植踊は,芋沢の百姓喜太郎,平吉の兄弟が仙台城下へ行商に行った際に習得してきたもので,寛延2年(1749)1月より仙台藩五代藩主伊達吉村の許可を得て,踊られるようになったものだという。装束は,弥十郎(やんじゅうろう)は七兵衛・八兵衛の面をつけ,頭には独特な投頭巾をかぶる。早乙女(さおとめ)は顔に口紙(三角)のおおいをつけ,裾模様のある黒の振袖に胸高の広帯を締めた上にしごき帯を結び,その余りを後ろに長く垂らしている。花笠は紙張りの道中傘風のもので,飾花はない。弥十郎,早乙女の背紋の「丸に宮」は,伊達家が京都御所から許可を得て使用してきたものだと伝える。衣装は,今も古態を残して家督の成人男子が振袖姿の早乙女に扮装して踊られている。その装束や所作には,江戸中期以降仙台に巡業に来たという関西歌舞伎等の影響がみられ,特に早乙女が赤毛の小さな手獅子を持ち帯を回して日の丸扇を二枚重ねにした扇傘をかぶり鈴を持って踊る「獅子舞」には,歌舞伎の「石橋(しゃっきょう)」の影響が強く出ている。 (演じられる時期と場所 不定期)