江戸時代から明治時代の人形型
つつみにんぎょうつちがた
堤人形土型
Tsutsuminingyo Tsuchigata
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解説
Description
仙台藩は,奥州街道の北の出入口にあたる堤町に足軽町を作り,豊かな粘土資源を活用し,藩内の産業発展と生活の安定に役立つ焼き物や人形等を足軽の副業として作らせた。堤人形は,四代藩主伊達綱村が,元禄年間に江戸の陶工・上村万右衛門を招いて作らせたのが始まりといわれ,文化・文政時代には,西の伏見人形,東の堤人形と並び称されるほどになり,東北全体の土人形や張り子人形に多大の影響を与えた。土人形製作の中心的存在であったとされる宇津井家と庄子家はともに瓦師が本業であり,冬季の副業として土人形を作っていたといわれている。明治時代後半には,土人形を作る人形屋の廃業が相次いだが,現在も江戸時代の旧型(粘土型)が石膏型に取り直され,江戸時代の土人形の伝統が守りつがれている。指定された292点の人形型のうち,年紀銘のある最古のものは,庄司屋勇七が製作したもので前型外側には「寛延元年勇七」,後型外側には「庄司屋」と銘が刻まれており,型が製作された時期を知ることができる。江戸時代から明治時代までの人形型が揃う,貴重な歴史資料である。(個人所蔵)