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相ノ原遺跡

縄文時代・平安時代の集落跡。「名取」と墨書された土師器が出土。

あいのはらいせき

相ノ原遺跡

Ainohara iseki

種別区分
集落跡 貝塚
年代
旧石器時代 縄文時代 平安時代
面積
124,577㎡

所在地

太白区坪沼字相ノ原
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解説

相ノ原遺跡は,市の南部にあり,JR長町駅の西約11.5kmに位置する。名取川右岸のやや低位の段丘上に立地しており,遺跡の東側では南から流下する坪沼川が名取川と合流している。標高は70~80mで,面積は約60,000㎡である。現況は水田,畑地となっている。平成2年(1990)に国道286号線の改良工事に伴う発掘調査が行われ,縄文時代の落し穴などを含む土坑6基や平安時代の竪穴住居跡1軒,時期不明の石組の暗渠(あんきょ)溝などが発見された。また平成6年には市道工事に伴う第2次調査において,縄文時代の土坑群や平安時代の竪穴住居跡7軒が発見された。これまでの2回の調査では縄文時代の土坑は38基あり,このうち段丘の平坦地では落し穴が2基,川側の段丘縁辺部では食物などの貯蔵穴を含む32基が密集して発見された。このような状況からみて土坑群周辺の段丘縁辺部にはこの時期の居住域が存在する可能性がある。出土した縄文土器は段丘縁辺部の土坑群や遺物包含層からの出土がほとんどで,時期は縄文時代中期中葉~後期前葉のものが多く,他に前期初頭,後期中葉~後葉のものがある。また石器類の出土も多く,剥片石器では石鏃(せきぞく)と石錐(いしきり)の占める割合が多いのが特徴的である。平安時代の竪穴住居跡は段丘縁辺部南側の平坦地で確認された。形は方形や長方形で,小さなもので一辺3.3m,大きなもので一辺6.6mある。最も規模が大きく,平面長方形の3号住居跡では,南北両側の壁にカマドを付設し,当初は方形だった形を後に東側を拡張したことがわかった。住居跡群から出土した土師器,須恵器は9世紀中頃~後半のもので,7号住居跡から出土した「名取」と墨書された土師器の坏(つき)は当時この地が名取郡に属していたことを示す資料であると同時に,この山あいにある集落の性格を考える上で貴重な資料である。

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