津波被害を受けた弥生時代中期の水田跡。
あらいみなみいせき
荒井南遺跡
Arai-minami iseki
解説
荒井南遺跡は,市の東部にあり,地下鉄荒井駅の南西約1㎞,現在の海岸線から約4.5㎞内陸に位置する。標高3~4mの自然堤防から後背湿地にかけて立地しており,面積は約72,300㎡である。平成24年(2012)に土地区画整理事業に伴い試掘調査が実施され,津波堆積物である砂層に覆われた弥生時代の水田跡が確認されたため,遺跡の新規登録が行われた。平成25年に実施された本発掘調査では,設定された5ヶ所の調査区すべてで,大畦畔(けいはん)と小畦畔によって整然と区画された水田跡が検出された。水田区画は方形を基調としており,68区画確認されている。1区画あたりの面積は8~57㎡である。畦畔の周辺などから出土した弥生土器や石庖丁(いしぼうちょう)等から弥生時代中期の水田跡であることが明らかになった。この水田跡は,本遺跡の北東約600mに位置する沓形遺跡と同様に津波被害によって廃絶したと推定される。周辺の調査結果と併せると,弥生時代中期の荒井地区では自然堤防上の微高地では居住域が営まれ,微高地周辺の後背湿地では水田稲作による食糧生産が行われており,地形環境に応じた土地利用がなされていたと考えられる。しかし弥生時代中期後葉~後期では人間の活動痕跡がほとんど確認されていないことから,津波による災害が人々の生活に大きな影響を与えたものと推測される。