標高約90mの段丘端部にある旧石器時代~平安時代の遺跡。
うえのはらやまいせき
上ノ原山遺跡
Uenoharayama iseki
解説
上ノ原山遺跡は,市の南部にあり,JR長町駅の西約7.5㎞,茂庭浄水場の南隣に位置する。北側の蕃山丘陵から南に張り出した台地の南端部,名取川中流域左岸の標高約70~90mの上町段丘上に立地し,面積は約30,000㎡に及ぶ。昭和62年(1987),国道286号の改修工事に先立って行われた分布調査によって発見され,平成元年(1989)から3年まで発掘調査を実施した。縄文時代から平安時代にかけての遺構・遺物と旧石器時代の石器が発見された。縄文時代の竪穴住居跡は2軒あり,縄文時代早期末~前期初め頃のものである。土坑は落し穴で長方形,楕円形と長楕円形(葉巻形)のものがあり,縄文時代早期末~縄文時代後期頃のものと思われる。旧石器時代の石器は5層から10層の層準で発見された。7層が川崎スコリア層(約3万年前の蔵王の噴火による堆積層)である。その下層からは剝片が十数点出土し,石材は凝灰岩,玉髄(ぎょくずい),珪質頁岩(けつがん)などである。上層では北側と南側の2ヶ所に石器の集中する区域が確認された。北側の石器にはナイフ形石器,彫刻刀形石器,スクレイパー,ノッチ,石刃,石核などがあり,利用された石材は大部分が珪質頁岩で,その他に若干の流紋岩,玉髄がある。南側にはナイフ形石器や石核もあるが,剝片が多く,石材は凝灰岩,石英安山岩質凝灰岩,珪化凝灰岩が多い。北側で定形的な石器が多く,珪質頁岩が大部分を占めていた状況と大きく異なっている。北側の石器群は東北地方の日本海側に多く分布する石刃石器群に属するものと考えられ,宮城県内での類例は少ない。頁岩は山形県最上川中流域から持ち込まれたものと考えられる。石材の産地から遠方にある本遺跡では,頁岩を補う形で流紋岩や石英安山岩質凝灰岩のような地元で産する石材が用いられている。また,頁岩製の石器を繰り返し長く使用した痕跡が認められ,石材産地から遠隔地にある遺跡の石器利用の特質を示している。なお、調査区内には倒木痕が多くみられ,旧石器時代の層準からは,縄文時代の石鏃や石箆(いしべら)なども出土していることから,旧石器時代の石器については,慎重な取り扱いが必要とされる。