配石遺構や大量の土偶がみつかった,縄文時代後期の墓域・祭祀跡。
おおのだいせき
大野田遺跡
Onoda iseki
解説
大野田遺跡は,市の南部にあり,JR太子堂駅の東約500m,地下鉄富沢駅の北東約700mに位置する。名取川と広瀬川の合流点から西北西へ約2.7㎞,笊川によって形成された標高9m前後の自然堤防上に立地しており,遺跡の面積は約48,000㎡である。平成5年(1993)から7年にかけて仙台市教育委員会による発掘調査が行われ,縄文時代後期の祭祀跡や,古墳時代から平安時代にかけての集落跡,畑跡が発見されている。縄文時代後期の祭祀跡については,上下2面発見されており,堆積土の状況から,下位の面の上に人為的に盛土,整地がなされ,上位の面が形成されたと考えられる。下位の面では,周辺よりやや小高い所に位置する配石や埋設土器の周囲に掘立柱建物などが配置されている。上位の面では,周辺よりやや小高い所に位置する環状集石や配石を中心に,埋設土器や土坑,竪穴遺構などが周囲を取り囲むように位置している。遺物については,大量に発見された土偶(326点),土製円盤(7,186点)のほか,イノシシなどと考えられる動物形や土笛形,鐸形,キノコ形,スプーン形,腕輪形などの土製品や,耳飾り,ヒスイ製垂飾,特殊な形の土器などが発見されており,祭祀に用いられたと考えられる。古墳時代から平安時代にかけては,古墳時代の竪穴住居跡や掘立柱建物跡,奈良・平安時代の竪穴住居跡などが発見されており,断続的に集落が営まれていたと考えられる。遺物については,平安時代の墨書土器などが発見されている。畑跡と考えられる小溝状遺構群は奈良・平安時代の集落跡よりも新しく,調査区のほぼ全域に及んでいるため,集落が廃絶したあと,当地が食料生産域として利用されたことを示している。