45基を数える,市内最大の古墳群。
おおのだこふんぐん
大野田古墳群
Onoda kofungun
解説
大野田古墳群は,市の南部にあり,地下鉄富沢駅の東側に接し,標高10~12mの後背湿地及び自然堤防上の微高地に立地しており,面積は約193,000㎡である。縄文時代および古墳時代から中世にかけての複合遺跡であり,これまで富沢駅周辺土地区画整理事業の道路建設や共同住宅建設などに伴い,22次にわたる調査が実施されている。平成7年(1995)から24年までの18年間にわたって実施された富沢駅周辺土地区画整理事業に伴う5次調査では,複数の時代における多くの成果が得られている。縄文時代では後期中葉の土器が出土し,古墳時代前期では竪穴住居跡より竪櫛(たてぐし)などの遺物が出土している。主体となる古墳時代中期から後期においては,多数の古墳が確認され,その総数は平成27年現在で45基を数える。鳥居塚古墳が主軸長37mの前方後円墳である以外はすべて円墳である。径約32mの春日社古墳を最大として,多くは径20m前後で小さなものは径10m以下である。古墳からは,土師器,円筒埴輪,形象埴輪などが出土している。本遺跡は,東北地方で数少ない埴輪を有する群集墳であるが,埴輪は全ての古墳から出土する訳ではなく,径10m以下の小型の古墳からは検出されない傾向がある。平成19年に春日社古墳の第2主体部から出土した革盾は,東北地方で初めての発見であり,5世紀後半から6世紀前葉における被葬者と中央政権との係わりが想起される極めて重要な資料である。6世紀中頃になると,古墳にかわって木棺墓が営まれるようになる。木棺墓はこれまでに4基確認されている。このうち平成16年に調査されたものは,墓坑の壁に掘った小穴中に土師器と須恵器を埋納しており,東北北部や北海道に類例を認めることができる。古墳時代以降の遺構としては,古代の水田跡や,中世の道路跡,掘立柱建物跡などが確認されている。隣接する王ノ壇遺跡では,中世の屋敷跡や宗教施設などが確認されており,本遺跡では,周辺の調査成果と併せて,この地域における当時の交通のあり方や中世の集落の様相を知る上でも重要な成果が得られている。