奈良時代から平安時代にかけての一本柱塀跡や円面硯などが出土。律令行政施設か。
かみさくいせき
神柵遺跡
Kamisaku iseki
解説
神柵遺跡は,市の東部にあり,JR長町駅の東北東約2km,国道4号線バイパスの東側に位置する。広瀬川左岸の沖積地の自然堤防上に立地し,標高は9~10m,面積は14,400㎡で,東西約120m,南北約120mである。隣接して同時代と考えられる砂押Ⅰ遺跡,砂押Ⅱ遺跡,中柵西遺跡が存在することから,より広範囲にわたる可能性がある。平成3年(1991)と平成25年に調査が実施されている。平成3年の調査面積は約860㎡で,奈良時代後半から平安時代初期にかけての一本柱塀跡1列,掘立柱建物跡5棟,溝跡71条,土坑76基,性格不明遺構1基が検出された。これらは,4時期の変遷があることが想定されている。Ⅰ期以前の時期は土坑群からなり,この内1基より多量の鉄滓(てっさい)が出土したことから,周辺に鍛冶関連遺構の存在が考えられる。Ⅰ期及びⅢ期では掘立柱建物跡が検出されている。Ⅰ期は掘立柱建物跡2棟とこれを区画する一本柱塀跡1列からなり,基準方向をほぼ真北にとる。Ⅲ期は掘立柱建物跡3棟からなり,この内1棟は大形で,建物方向は全てⅠ期に比べやや西に偏る。この他,溝跡と報告されたものの大部分は,畑跡耕作痕で,耕作土の大半は失われている。これらはⅢ期の時期のものと思われる。本遺跡は,奈良時代後半から平安時代初期にかけての一本柱塀跡によって区画された掘立柱建物跡群により構成されているのが特徴で,円面硯も3個体分出土していることから,一般的な集落とは異なり,郷などに置かれた役所末端の施設である可能性があり,当時の郷などにおける律令行政を知る上で貴重な資料といえる。