近世の屋敷跡を主体とする遺跡。多くの陶磁器が出土。
かわうちえーいせき
川内A遺跡
Kawauchi-e iseki
解説
川内A遺跡は,市の中心部に近く,JR仙台駅より西約2km,地下鉄国際センター駅とその北側に位置する。仙台市街地を流下する広瀬川が形成した下町段丘上に立地する。標高は約40mで,面積は約3,300㎡である。縄文時代と近世を主とする遺跡である。江戸時代の絵図には,武家屋敷または御炭蔵が描かれており,一帯は仙台城に隣接する重臣・家臣団クラスの武士が住まう地域であった。明治に入ると,陸軍第二師団司令部の敷地となったが,太平洋戦争後,米軍駐留地を経て,平成11年(1999)まで仙台商業高等学校の校地となっていた。平成16年に行われた地下鉄東西線建設に伴う確認調査及び試掘調査の結果,近世を主とする遺構・遺物の存在が確認され,平成16年,新たな遺跡として登録された。平成17年から本発掘調査が始まり,近世以前~近代までの遺構が検出され,遺物7,000点余りが出土した。遺物は磁器が最も多く46%を占め,次いで陶器が31%となる。近世以前の遺構として沢跡が検出された。沢跡は近世以降,継続的に埋められており,沢幅は徐々に縮小する。17世紀では,道路側溝や柵列の可能性のある遺構,井戸などが検出された。遺物は絵唐津,志野,華南三彩などの希少品も出土している。18世紀には,前代の道路側溝や柵列は微妙に配置を変えながら存続した。その他に,柱跡や井戸などが検出されている。遺物は,肥前磁器の生活雑器が主体を占める。19世紀には,磁器は瀬戸・美濃が主体となる。陶器は大堀相馬,堤などの近隣の窯で生産されたものが増加する。このように近世を主体とする遺構・遺物が発見されているが,平成24年の試掘調査において,遺跡の北側で縄文時代後期の遺物包含層と土坑や近世の整地層などが見つかり,平成26年に遺跡範囲が拡大されている。