近世の屋敷跡を主体とする遺跡。多くの陶磁器が出土。
かわうちびーいせき
川内B遺跡
Kawauchi-bi iseki
解説
川内B遺跡は,市の中心部に近く,JR仙台駅より西約2km,地下鉄国際センター駅の西側に位置する。仙台城本丸跡から北へ800m,二の丸跡から南東に370mの位置にあり,標高は44.9~47.0mで下町段丘上に立地する。面積は約4,800㎡である。川内B遺跡が位置する仙台城二の丸北側の区域は,仙台城廃城の後,明治21年(1888)に陸軍第二師団が置かれ,第二次世界大戦終了まで使用された。戦後は米軍駐留地となり,昭和32年(1957)に返還され,現在は東北大学の川内キャンパスとなっている。遺跡は地下鉄東西線建設に伴う試掘調査で平成16年(2004)に発見された。平成20年から平成22年にかけて本発掘調査が行われ,近世~近代の遺構や遺物が検出された。遺跡の主体である近世の遺構は,柱列跡13条,建物跡1基,溝跡29条,井戸跡4基,土坑80基,カマド跡11基,性格不明遺構86基,ピット230基,杭列跡1条,石列遺構1基,総数456基が発見された。遺物は約30,000点が出土しており,その半分以上が陶磁器である。また縄文時代の土器片も少量出土している。その変遷を見ていくと,17世紀では,柱列跡,井戸跡をはじめ,規模の大きな溝状の性格不明遺構が検出された。東西方向の区画施設と考えられる溝跡などが検出されたほか,暗渠状と推定される石組の溝状遺構も検出されている。18世紀には,東西方向の柱状溝跡や南北方向の石組の溝跡が検出されている。遺物は陶磁器が多く,18世紀前半は肥前産のものが半分以上を占め,瀬戸・美濃産と大堀相馬産陶器がこれに続くが,後半は大堀相馬産陶器が次第に増加していく。19世紀には石列遺構や礎石を伴う柱列跡が検出されている。特に柱列跡は17・18世紀とは主軸方向を違えて検出されたことから,土地利用が変化したものと推測される。また,18世紀後半から19世紀中葉にかけては,台所跡と思われるカマド跡の集中する範囲も検出されている。陶磁器は大堀相馬産陶器に替わり,瀬戸・美濃産がその割合を増加させていく。