縄文時代中期の集落跡。
かんのんどういせき
観音堂遺跡
Kan'nondo iseki
解説
観音堂遺跡は,市の西部にあり,JR愛子駅の南約800mに位置する。標高113mの広瀬川右岸の河岸段丘上に立地し,面積は約17,000㎡である。国道48号線愛子バイパス建設工事に伴う分布調査で発見された遺跡である。昭和59年(1984),60年に宮城県教育委員会によって発掘調査が実施され,縄文時代の竪穴住居跡と炉跡,土器埋設遺構,土坑,平安時代の竪穴住居跡が検出された。縄文時代の竪穴住居跡は5軒確認されており,すべての住居跡で複式炉(石組部と土器埋設部が組み合わされた炉)が設けられている。確認された竪穴住居跡には,敷石住居が1軒含まれている。竪穴住居跡は一辺の長さが約3~5mで,平面形は隅丸方形である。炉跡は2基確認されており,土器が埋設されている。竪穴住居跡や炉跡から出土した土器から縄文時代中期末の遺構であることが判明した。また,土偶や円盤状土製品のほか,石鏃(せきぞく)や石匙(いしさじ),掻器,磨石などの石器も出土している。平安時代の竪穴住居跡は1軒確認されており,カマドが設けられている。ロクロで成形された土師器と須恵器が出土している。