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北目城跡

仙台城に移るまでの伊達政宗の居城とされる城館跡。

きためじょうあと

北目城跡

Kitame jo-ato

種別区分
集落跡 生産遺跡 城館跡
年代
縄文時代 弥生時代 古代 近世
面積
128,000㎡

所在地

太白区郡山字館ノ内
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解説

北目城跡は,市の南部にあり,JR長町駅の南東約1.5kmに位置する。標高約9mの自然堤防上に立地し,面積は約128,000㎡である。これまで道路建設や個人住宅建築工事などに伴い6次の調査が実施されている。縄文時代後期の竪穴住居跡や土坑,弥生時代と古代の水田跡が確認され,縄文土器や弥生土器,土師器,須恵器なども出土している。しかし特筆すべきは近世初頭の堀跡である。この城は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの頃から仙台城に移るまでの,伊達政宗の居城として知られており,調査によって確認された堀跡もこの頃のものと考えられる。堀跡は規模の大きな堀に小さな堀が複雑に取り付いているが,これらが同時にあったものか時期的な変遷を示すものかは不明である。大きな堀の規模は,上幅10~14m,深さ3mで長さは180m以上である。また堀の底には,複雑な段差に加え高さが1.2mにもなる「障子」と呼ばれる壁が築かれている。このいわゆる「障子堀」の出現は戦国時代にさかのぼり,敵の侵入を防ぐ役割を果たしたと考えられる。出土遺物には,刀剣や伊達氏の家紋である三引両文(みつびきりょうもん)の描かれた漆器の椀,曲尺,わらじ,火縄銃の弾丸,16世紀後半から19世紀の陶磁器のほか,ヒトの頭蓋骨,ウマ,シカ,イノシシ,イヌ,ネコ,マグロなどの骨やクリ,クルミ,ヒシの実などがある。骨などの出土遺物は,食器類だけではなかなか判らない食物の種類などを知る上での直接的証拠であり,非常に興味深い遺物といえる。もちろん食料だけではなく,軍馬やペットといったものも含まれていると考えられ,その情報量は大きい。また,一部に朱が塗られた建築部材の虹梁(こうりょう)も出土しており,城内の建物を推定する上で貴重な遺物である。このような調査成果によって,城の構造や居住した人々の生活が明らかになりつつあり,本市における近世初頭の遺跡として重要である。

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