弥生時代中期の津波被害を受けた水田跡。
くつかたいせき
沓形遺跡
Kutsukata iseki
解説
沓形遺跡は,市の東部にあり,地下鉄荒井駅の南側に位置する。標高2~4mの後背湿地に立地し,面積は約213,600㎡で,現在の海岸線から約3.8~4.5㎞内陸の位置にある。平成18年(2007)に地下鉄東西線建設に伴う試掘調査が実施され,平安時代~中世に2時期と平安時代以前に1時期,計3時期の水田跡が確認されたため,遺跡の新規登録が行われた。平成19・20年に実施された本発掘調査では,出土した遺物などから,弥生時代中期以前,弥生時代中期,古墳時代前期,平安~中世の4時期の水田跡が存在することが判明した。このうち弥生時代中期の水田跡は砂に覆われた状態で発見されている。この砂は粒度組成分析などによって海浜起源の砂であることが明らかになった。津波によって堆積した砂であり,弥生時代中期の水田跡は津波被害によって廃絶したことが推定された。この場所に再び水田が営まれるのは約400年後の古墳時代前期で,津波被害は当時の集落に大きな影響を与えたと考えられる。周辺地域での津波堆積物の分布調査から,約2,000年前の津波の遡上距離は当時の海岸線(現在の海岸線より2㎞内陸側)から約4.2㎞と算定されている。このことから平成23年に発生した東日本大震災の津波(遡上距離約4㎞)と同規模の大津波が弥生時代に仙台平野を襲ったことが明らかになった。平成22・23・26年に土地区画整理事業に伴い発掘調査が実施され,弥生時代中期の水田域は東西約300m,南北約1.2km,面積20haを超える広範囲に及ぶことが判明した。これまでの調査で検出された水田跡は,大畦畔(けいはん)と小畦畔で区画されており,水田区画は方形を基調としている。1区画あたりの面積は16~50㎡である。