「L字」型の土塁が現存する中世の館跡。
しもおおくらたてあと
下大倉館跡
Shimo-okura-tate ato
解説
下大倉館跡は,市の西部にあり,市の中心部からは国道48号線を山形方向に約18㎞,熊ヶ根橋から分岐する市道熊ヶ根定義線を進み,大倉ダムの南方約1㎞に位置する。平成元年(1989)に土地改良総合整備事業が計画されたことから,遺跡詳細分布調査が行われている。面積は約15,300㎡で,館跡の範囲は,東西100m,南北130m,東側と南側は大倉川に面し,西側には大倉川からの沢が入り込んでいる。大倉川とは比高差50m以上の断崖になっている。現存する遺構としては,館跡の北辺に沿って「L字」形の土塁がある。土塁の全長は50m以上あり,左右に広がりを見せる基底部の幅4~10m,高さ1~2.3mを測る。土塁の外側に大規模な堀跡が確認されている。堀跡の規模は,上端幅約8m,下端幅1.5mである。確認面からの深さは2mであるが,土塁上面と底面との比高差は4m以上である。『仙台領古城書上』,『大倉村風土記御用書出(安永風土記)』の記載では,国分家臣大倉蔵人の居館としている。大倉氏は,『伊達世臣家譜』によればその後関氏と称して伊達家家臣となり,大倉村に居住している。