シシの害から田畑や宅地を守るための土手。鹿除土手(ししよけどて)とも。
すぎどて
杉土手
Sugi dote
解説
杉土手は,市の南部にあり,大年寺山の南西麓にある。「鹿除(ししよけ)土手」とも呼ばれ,シシ(いのしし:猪,かのしし:鹿)の害から田畑や宅地を守るために江戸時代に築かれた土手である。仙台の鹿除土手は仙台城を囲むかのように,青葉山丘陵の北と南の2ヶ所で確認されている。北方の土手は青葉区下愛子の丘陵麓にあり,南方の土手が杉土手と称されている。南方の土手の上には杉の木が植えられていたため,杉土手と呼ばれたものと考えられる。杉土手は,現存している部分は少ないものの,山田地区と西多賀大谷地,大年寺惣門東側では保存状態が良好である。絵図などの資料から,東西約6.4㎞に渡って名取川から広瀬川までの丘陵麓に築かれていたと推定される。西端は山田本町付近で,山田字杉土手の地名が残っている。土手はここから市道鹿野人来田線(旧国道286号線)の北側に沿って東に延びており,大年寺山南東端の根岸交差点付近で北に折れ,愛宕山近くの大窪谷地まで続いていた。明治9年(1876)の地籍図では,根岸交差点から大窪谷地までの地名は「鹿除土手囲1番」とある。発掘調査は,昭和61年(1986)・平成3年(1991)・平成8年・平成18年に仙台市教育委員会によって行われており,その結果,土手には2回の補修の痕跡が確認されている。山田地区で現存する土手の規模は,旧期が高さ約1.8m,幅約3.5m,新期が高さ約2m,幅約6mである。法面の角度は,シシのいる山側が急である。杉土手の構築時期については諸説あるが,江戸時代中期以前と推定されている。なお,『仙台藩家臣録』などの文献から2代藩主伊達忠宗治世の明暦2年(1656)以前に構築された可能性が指摘されている。