仙台藩主伊達氏の居城。青葉山の地形を生かした堅固な山城。
せんだいじょうあと
仙台城跡
Sendai-jo ato
解説
仙台城跡は,市の中心地に近く,青葉山に位置する。城域は東に広瀬川と高い崖,南に竜ノ口渓谷,西は御裏林の深い森林に堀切を築くなど,自然地形を最大限に利用し区画している。東からと北からの登城路は屈曲し,要所に石垣を築き守りを固めている。仙台藩初代藩主伊達政宗によって築城された平山城であり,「青葉城」とも呼称される。本丸,二の丸,三の丸からなり,面積は約1,250,000㎡である。本丸は最高所にあり,標高は115m~140mで,北から西にかけて最大高約17mの石垣を巡らせている。平成9年(1997)から実施された本丸北壁石垣の修復工事では,現在ある石垣の内部から古い石垣が発見され,築城以後,地震災害による石垣修理を大きく2度にわたり行っていたことが確認された。この際の発掘調査では,約40トンの瓦,16世紀末から17世紀前半代にかけての国内産,中国産の陶磁器などの他,国内でも希少な遺物であるヨーロッパ産のガラス器が出土している。平成23年の東日本大震災では本丸北西部の石垣が被災したが,平成27年に復旧された。本丸大広間跡では,礎石跡や雨落ち溝跡などが確認され,鍍金された金具や銅釘などが出土した。遺構と絵図の検討に基づき礎石などを復元し,遺構表示整備を行っている。本丸北東部の麓に位置する三の丸は北と東を堀と土塁で区画している曲輪(くるわ)である。蔵屋敷,東丸などと呼称され,米蔵が置かれていた。築城期にさかのぼる遺構や陶磁器などが発見されたことから,政宗の下屋敷が置かれていた可能性が考えられている。二の丸は2代藩主忠宗により造営され,明治維新まで藩政の中心となった。現在は東北大学キャンパスとなっているが,発掘調査では二の丸御殿の遺構が良好に残る地点もあり,下層からは政宗の娘の五郎八(いろは)姫の屋敷跡など,二の丸造営以前の遺構も発見されている。仙台市博物館の南側の登城路沿いではカマド跡や井戸跡などが発見されるとともに,文献に記録のある「榧森与左衛門」と記された木簡が出土し,酒造りの場所であることが裏付けられた。