100基を超える横穴墓群。金属製品や碧玉製管玉,ガラス製小玉などが出土。
ぜんのうじよこあなぼぐん
善応寺横穴墓群
Zennoji yokoanabogun
解説
善応寺横穴墓群は,市の東部にあり,JR東仙台駅の北方約0.9kmに位置する。七北田丘陵の東端部の東斜面から,南斜面にかけて立地し,横穴墓は善応寺境内を中心に分布する。標高は30~45mで,面積は約13,400㎡である。昭和23年(1948)から25年・35年・36年・42年にかけて23基の横穴墓が調査されたが,これ以外にも埋没し地表に現れていない横穴墓を含めると100基を超える横穴が存在すると推定されている。昭和53年に市の史跡に指定されている。横穴墓の一部は以前から開口しており,戦時中に防空壕に使用されたりしたため本来の状況が分かりにくいものも存在する。しかし,平面形は胴張気味ながら方形を基調とするものと縦位長方形のものが多く,それ以外にも横位長方形や台形を基調とするものが確認されており,また袋状のものも1基確認されている。また一部の床面には排水溝が設けられている。立面形態はアーチ形が多く,ドーム形がこれに次いで多い。これまでの調査で埋葬施設である玄室よりも,玄門の前面などを中心に数多くの遺物が発見されており,閉塞した横穴の前で供献や墓前祭祀を行っていたものと考えられる。出土遺物は土師器の坏(つき)や碗,須恵器の坏や長頸瓶(ちょうけいへい),甕(かめ),刀子や鉄鏃(てつぞく),切羽(せっぱ),金銅環などの金属製品,メノウ製勾玉,碧玉製勾玉,碧玉製管玉,メノウ製丸玉,ガラス製小玉などである。また4号墓玄室からは壮年男子の人骨が2体分出土している。これらの出土遺物の年代から横穴墓は,7世紀中頃から始まり8世紀前半頃まで使用されていたと考えられている。遺跡の北東約800mの丘陵上には7世紀後半から10世紀の官衙(かんが)跡,あるいは寺院跡とされる燕沢遺跡,南南西約400mの丘陵裾には5世紀から8世紀前葉に須恵器と瓦を生産した大蓮寺窯跡が存在しており,両者との関わりが想定されている。