古代から中世にかけての集落・屋敷跡。人物墨書礫(れき)などが出土。
なかのたかやなぎいせき
中野高柳遺跡
Nakano-takayanagi iseki
解説
中野高柳遺跡は,市の北部にあり,仙台港の西方約1㎞に位置する。七北田川の河口から約3㎞,標高3~4mの自然堤防上に立地しており,遺跡の面積は約44,200㎡である。平成6年(1994)から17年にかけて宮城県教育委員会と仙台市教育委員会による発掘調査が行われ,平安時代の畑跡・水田跡や,平安時代末期から江戸時代の集落跡が発見されている。平安時代の畑跡・水田跡については,自然堤防上を畑,後背湿地を水田として利用しており,それぞれが溝で区画されている。畑・水田が10世紀初頭の灰白色火山灰の降灰によって廃絶した後,復旧されて畑が作られるが,その畑も河川の氾濫によって埋没している。平安時代末期の集落については,幅1mほどの溝で囲まれた屋敷跡が発見されている。居住者がゴミを捨てたと考えられる場所からは,平泉と同様の組合せの土器・陶磁器のほか,平泉で製作された可能性が高い鉄地銅象嵌轡(てつじどうぞうがんくつわ)なども発見されており,屋敷の主が平泉藤原氏と密接な関係にあったと考えられる。鎌倉時代から室町時代の集落については,幅約3mの大溝によって区画された屋敷と幅約1mの溝で囲まれた屋敷で構成され,前者が在地領主,後者が家臣や従者などの住まいと考えられる。在地領主の屋敷は,母屋・副屋・雑舎・前庭・井戸・ゴミ穴などが共通して一定の場所に配置されていることが明らかになった。遺物では,鎌倉時代のゴミ穴から発見された,2人の人物が墨で描かれた人物墨書礫(れき)が注目される。江戸時代の集落については,中世の集落と同じ構成をとることが判明したが,規模の大きな屋敷は出土遺物からみて有力農民層のものと考えられる。