郡山遺跡に隣接する,古代の大規模な集落跡。
ながまちえきひがしいせき
長町駅東遺跡
Nagamachieki-higashi iseki
解説
長町駅東遺跡は,市の南部にあり,JR長町駅の東側に隣接する。広瀬川と名取川に挟まれた郡山低地の東側で標高10m前後の自然堤防上に立地し,面積は約75,000㎡である。遺跡の範囲は東西200m,南北600mである。平成3年(1991),4年に遺跡の範囲確認調査が仙台市教育委員会により行われ,東側に隣接する郡山遺跡と同時期の遺跡であることがわかった。さらに長町副都心開発に伴い,13年から継続的な調査が実施されている。この地区はかつて国鉄の貨物ヤードであり,場所により遺構が完全に破壊されていたところもあったが,これまでの調査で6世紀末葉~8世紀初頭にかけての大規模な集落跡であることが判明した。これまで発見された竪穴住居跡は約350軒におよび,かなりの密度で重複し合っている状況が確認された。住居跡は平面形が方形で,大きさは3~8m程度で,多くの住居跡の北側壁にはカマドを付設しており,大型の住居跡の壁面には補助柱を備え付けたものもみられる。また集落内には幅4mの大溝跡やこれと平行して配置される材木列や柱列があり,集落内を区画する施設と考えられる。同時期の遺構としては他に掘立柱建物跡,土坑,溝跡などがある。出土遺物では在地の土師器が多量に出土したほか,関東系の土師器や須恵器,砥石,土錘(どすい)などの各種製品がある。またわずかではあるが古墳時代前期や平安時代の竪穴住居跡が発見され,さらに下層には弥生時代中期の水田跡や土坑,土器棺墓,同期の土器,剝片石器類,縄文時代の遺物を包含する層が一帯に広がっていることが確認された。古代の住居跡群は遺跡の西および北側に広がることが予想され,この地区一帯に計画性をもって作られた大集落が広がるものと推定される。そしてこの集落は西台畑遺跡と同様に,郡山遺跡の官衙(かんが)と関係する人々により営まれ,8世紀初めの郡山遺跡の廃絶とほぼ時を同じくして終焉を迎えたものと考えられる。それ以降,遺構・遺物は少ないが,中世~近世には生産域(畑跡)として土地利用されていた。