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新妻家墓地

江戸時代の武士階級の墓地。

にいづまけぼち

新妻家墓地

Niizumake bochi

種別区分
古墳・墓
年代
近世 近代
面積
未登録

所在地

青葉区北根4丁目
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解説

新妻家墓地は,市の北部にあり,JR仙台駅の北約4.5kmに位置していた。市道七北田-国見線の新設工事に伴い,昭和59年(1984)に改葬が行われ,現在は遺構は存在していない。この地域は,小田原・台原丘陵を開折する仙台川(七北田川の支流)の谷地地形を示しており,古くから人名を取って「源太兵衛(谷地)」と呼ばれている。源太兵衛という人物は,寛永年間にこの地に移り住んだと伝えられる新妻胤重であり,新妻家の祖である。かつては伊達政宗に仕え,のちに栗原郡岩ヶ崎において政宗の五男宗信の補弼(ほひつ)役を務めたと言われている。新妻家墓地は極めて小規模な段丘面に位置し,29基存在していた。29基の墓のうち,新妻家の墓は15基,新妻家とは直接関連性は無く,武士と考えられる千葉家の墓が6基,名字は無く名前だけのもので武士では無いと考えられる墓が4基,不明な墓が4基である。当初は新妻家の墓地であったものが,千葉家などの墓地としても利用され,3系統以上の被葬者群となったことが想定される。墓石の形状は楕円形や板状のものなどがあり,大略7類型に分類される。甕棺(かめかん)や棺桶からは副葬品として,大小の太刀や古銭,柄鏡(えかがみ),煙管(きせる),鉄製の角釘,陶器の碗,漆器椀,素焼きの人形,和鋏などが発見された。墓石には埋葬の年月日や戒名が刻まれており,最も古いものが寛文10年(1670)に,最も新しいものが明治12年(1879)に埋葬されたことがわかった。新妻家墓地の発掘調査では江戸時代の武士階級の墓地の資料として,墓石の様式変化や性別による形態の差,副葬品の特徴や甕の特徴などを示す貴重な成果が得られた。

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