五郎八姫の仮御殿とされる,江戸時代初期の屋敷跡。
にしだてあと
西舘跡
Nishi-date ato
解説
西舘跡は,市の西部にあり,東北自動車道仙台宮城インターチェンジから国道48号線(愛子バイパス)を西に1.7kmほど進んだ,道路の南側に位置している。蕃山北麓の急斜面の裾に台地状に広がる段丘上に立地している。標高は110~115mである。東西は沢となっており,北側は高さ約6mの段丘崖による段差,南側は山の急斜面に変わる部分で区切られている。面積は約14,500㎡で,東西150m,南北130mに広がっている。西舘跡は,慶長年間(1596~1615)以降に,伊達藩家臣山岸定康が居住し,その後寛永8年(1631)以前から寛永13年まで,伊達藩奉行茂庭綱元が居住したと伝えられる。寛永13年に伊達政宗が死去すると,茂庭綱元はその屋敷を政宗の長女五郎八(いろは)姫に差し上げ,以降五郎八姫の仮御殿となったことが文献資料によって知られている。昭和61年(1986),愛子バイパス建設に伴い,北側裾部の発掘調査が宮城県教育委員会によって行われた。その結果,調査区の西半部では段丘崖の段差をそのまま利用して外郭線としていたが,東半部では石垣が確認された。遺物は,総織部の碗と宋銭各1点などが出土しており,数は少ないが高級な陶器であることが注目される。江戸時代初期の屋敷として極めて保存状態が良好であり,また仙台城二の丸北側にあった,五郎八姫の居館である西屋敷との関連を考えるうえでも重要な遺跡である。