縄文時代から近世にかけての複合遺跡。海岸部における土地利用の実態を示す。
ぬまむかいいせき
沼向遺跡
Numamukai iseki
解説
沼向遺跡は,市の東部にあり,JR多賀城駅の南1.5kmに位置する。標高1m前後の浜堤列から後背湿地にかけて立地する。面積は約117,000㎡である。仙台市教育委員会によって平成6年(1994)から21年まで調査が行われた。その結果,縄文時代後期~弥生時代後期の遺物が出土し,続く古墳時代~平安時代の初頭,近世には,居住域,墓域,生産域からなる集落の存在が明らかにされた。古墳時代前期では浜堤列に居住域(25軒の竪穴住居跡と29基の竪穴遺構)と墓域(古墳13基と方形周溝墓7基の古墳群)が異なる場所に形成されている。古墳はいずれも墳丘が残っておらず,周溝が確認されている。古墳の形は方墳3基と円墳10基がある。墳長は10~15mである。方墳には主体部が見つかり,割竹形木棺と推定される。主体部は方形周溝墓1基でも発見されている。古墳時代後期から奈良時代では浜堤列に居住域(31軒の竪穴住居跡,6棟の掘立柱建物跡,6基の竪穴遺構)と生産域(畑跡),後背湿地に生産域(水田跡)が形成されている。畑は,東西120m,南北60mほどの範囲に作られ,北と東は溝で区画されている。畑に伴う土坑からは,土師器,須恵器や木製の鍬(くわ)の柄も出土しているほか,モモやウメの種,炭化したコメ,アワ,キビなども発見されている。水田は浜堤列の縁辺に沿って作られ,約10,000㎡の広がりを確認している。奈良時代の水田では,一区画の面積が10~20㎡と小さいことが知られた。水田では木製の馬鍬(まぐわ)の台木が2点発見されており,水田耕作に畜力が導入されていたことがわかる。また,近世の遺構も多数発見されており,17世紀中頃から集落が営まれ,18世紀になると遠藤館跡が成立し,19世紀まで存続していくことが推定された。このように,沼向遺跡の調査は,土地利用とともに食糧生産の実態を考えるうえで貴重な成果をもたらしている。