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松森城跡

中世の山城跡。大崎氏に対抗する伊達氏の戦略上の拠点。

まつもりじょうあと

松森城跡

Matsumori-jo ato

種別区分
城館跡
年代
中世
面積
202,700㎡

所在地

泉区松森字内町他
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解説

松森城跡は,市の北部にあり,地下鉄泉中央駅の東約3.5kmに位置する。県道35号線に面した標高15~85mの丘陵に立地する。面積は約202,700㎡である。山城形式の城館であり,一部が鶴ヶ城公園として整備されている。丘陵南側の現在の登り口が大手にあたり,丘陵頂部の東側が本丸,西側が二の丸と考えられている。本丸は,標高約85mの丘陵頂部に大きな平場が造成され,四方に曲輪(くるわ)を持つ。西に延びる曲輪は二の丸に続いている。城の南側の丘陵裾部は,標高30mから15mまでが150mの幅で緩やかに傾斜しており,この斜面中央と南辺を,中世の街並みを反映するかのように2条の道路が東西に延びる。北側の道路より丘陵側には「内町」,南北の道路の間には「前沼」,南側の道路の南側には「城前」という地名が残っている。内町と前沼地区では,2条の道路を基軸として計画的な屋敷割が行われ,城下町的集落が形成されていたことが現在の地割りからも伺われる。なお,『仙台城古城書上』によれば,本丸の大きさは東西45間・南北16間,二の丸の大きさは東西16間,南北16間である。また,城の南側には幅15間,長さ140間の堀が存在したことも記されている。松森城は,戦国時代には仙台平野の中央部から北部を支配した国分氏の所領であった。国分領が伊達家の直轄領となった後,天正16年(1588)に伊達政宗が大崎氏を攻めた際には,伊達領の北辺の要衝として重要な役割を果たし,伊達家重臣の石母田氏や粟野氏が城に入っている。平成18年(2006)に行われた第1次・第2次発掘調査では,掘立柱建物跡,溝跡,井戸跡などが検出されている。

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