中世の山城跡。伊達家の菩提寺である近世の大年寺の遺構も残る。
もがさきじょうあと
茂ヶ崎城跡
Mogasaki-jo ato
解説
茂ヶ崎城跡は,市の中心部に近く,JR仙台駅から南約3kmに位置する。大年寺山もしくは茂ヶ崎と称される標高約100mの丘陵上に立地しており,中世に築かれたとされる城館跡である。面積は約441,700㎡である。「大年寺山」の名称は元禄4年(1691)開基の仙台藩主伊達家の菩提寺である大年寺に由来する。大年寺は往時には広大な寺域を有していたが,明治に衰退し,伽藍(がらん) のほとんどは失われた。現在は当地に寺域の中心部を土塁で囲んだ方形の区画(200×150m)を残している。それ以前の中世期のものと考えられる城館跡としての遺構は,大年寺の寺域の南西側,NHK大年寺放送局とその南西側の仙台放送の敷地の間に長さ約60m,幅約5m,深さ約2.5~5mの空堀と,土橋と思われる遺構が残されており,また仙台放送の放送塔南側にも長さ約80m,幅6~7m,高さ0.5mの土塁と思われる遺構が残されていることから,この堀と土塁に挟まれた部分が茂ヶ崎城跡の本丸ではないかと考えられている。『仙台古城書上』などの文献資料によると,城主は名取郡北方三十三郷旗頭粟野大膳であるとしている。茂ヶ崎城跡は平成18年(2006)から大年寺の土塁付近を中心に発掘調査が行われてきており,堤焼や唐津焼の大甕を用いた甕(かめ)棺墓や近世の陶磁器,銭貨,数珠玉や小型木製品,瓦,石塔の部材などが出土している。瓦の文様は,三引両(みつびきりょう)文や三巴文,三つ葉葵文,牡丹文などが確認されている。これらの遺構・遺物は大年寺に関係すると考えられる。また,縄文土器も出土している。