東北地方初の梵鐘鋳造遺構を発見。
やくしどうひがしいせき
薬師堂東遺跡
Yakushido-higashi iseki
解説
薬師堂東遺跡は,市の中心部に近く,JR仙台駅の東南東約2.3㎞に位置する。七北田川,広瀬川,名取川,阿武隈川によって形成された沖積平野の標高13.5~14mの微高地に立地しており,面積は約6,600㎡である。西には陸奥国分寺跡が隣接し,東には陸奥国分尼寺跡,北には国分寺東遺跡が位置している。この遺跡は,地下鉄薬師堂駅の建設に伴い,平成18年(2006)から21年に行われた試掘調査によって平安時代の竪穴住居跡や溝跡が検出され,遺物がまとまって出土したことから登録された。平成21年から23年にかけて本発掘調査が行われ,平安時代の竪穴住居跡,掘立柱建物跡,梵鐘(ぼんしょう)鋳造遺構を含む竪穴遺構,土坑,溝跡などが検出された。また,遺物には奈良時代の瓦等も含まれ,この辺りには陸奥国分寺跡に関わる遺構群があったことが明らかになった。特に9世紀後半の梵鐘鋳造遺構は東北初の発見である。一辺約2m,深さ約0.7mの方形で,中央に直径約0.7m,高さ約15cmの鋳型を据えた台座を設けている。中から梵鐘の吊り手部分である竜頭(りゅうず)の鋳型等が出土しており,貞観11年(869年)の大震災からの復興のために梵鐘を鋳造したものと考えられている。この他,中世の掘立柱建物跡,近世の墓跡などが検出されている。近世の墓跡には独鈷杵(どっこしょ)などの密教法具が副葬されたものもあり,遺跡の位置が近世国分寺の坊跡にあたることから寺院関係者の墓跡と考えられている。このように薬師堂東遺跡は貞観11年の大震災からの復興の様相や近世の陸奥国分寺周辺の様相を知るうえで重要な遺跡である。