縄文時代と平安時代の集落跡。
やまだほんちょういせき
山田本町遺跡
Yamada-honcho iseki
解説
山田本町遺跡は,市の南部にあり,JR長町駅の西約5 kmに位置する。付近は奥羽山脈から派生する青葉山丘陵の末端付近にあたり,遺跡の南西250mほどのところを名取川が丘陵を削りながら東流する。青葉山丘陵の麓には,名取川によって台原・上町・中町の3段丘が形成されている。本遺跡は,近隣の山田上ノ台遺跡・北前遺跡などと同一の上町段丘上に立地する。標高55~60mの東西にのびる尾根状になっており,北側には西から東に下がる浅い谷が通り,東側には,山田上ノ台遺跡との間に北側から巻くようにして深い谷が刻まれている。南側は落差が20m以上ある段丘崖である。遺跡の面積は約4,900㎡である。本遺跡は,平成16年(2004)の試掘調査によって,西側に続く尾根の背で落し穴などの遺構が検出されたことから登録された遺跡であり,試掘調査に引き続き,本発掘調査が実施された。縄文時代の竪穴遺構1基,落し穴8基,平安時代の竪穴住居跡1軒などの遺構が発見されている。縄文時代の竪穴遺構は早期末葉頃のもので,平面形は直径約3.5mの円形であり,住居跡の可能性がある。落し穴はいずれも細長い楕円形を呈する共通した形態であり,長さ2m前後,幅50cm前後で,底面の幅は5~10cmの規模である。平安時代の竪穴住居跡は東壁にカマドを有し,主柱穴は壁面に位置すると考えられ,9世紀後葉から10世紀初頭頃の年代に位置付けられる。