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若林城跡

伊達政宗が晩年をすごした平城。数多くの遺構・遺物を発見。

わかばやしじょうあと

若林城跡

Wakabayashi-jo ato

所在地

若林区古城2丁目
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解説

若林城跡は,市の南部にあり,JR仙台駅の南東約3㎞にある。広瀬川左岸の標高約12mの自然堤防上に立地する城郭で,現在は宮城刑務所となっている。面積は約119,600㎡である。初代仙台藩主,伊達政宗によって築かれ,政宗が晩年をすごした城として知られている。築城は寛永4年(1627)~5年であるが,完成後10年たたずして政宗が没し,廃城となる。それから2年後の寛永15年には解体された。城は堀(水濠)と土塁を四方に巡らした平城で,堀を含めた規模は東西約400m,南北約320mである。土塁は土をたたき締めて整然と造られ,堀の幅は25m前後と推定される。外郭の北東・北西・南西コーナーと南辺中央には,防御をより厳重にするための張り出しが設けられている。出入り口は東・西・北の三方で,すべて土塁を「L」字形に曲げた内枡形となっている。昭和59年(1984),60年に,刑務所内の建物の建設工事に伴う1次・2次の調査が実施されたほか,平成11年(1999)には道路拡幅工事に伴って北側の堀が調査された(第3次調査)。平成16年以降,宮城刑務所の全体的な建て替え工事に伴って平成27年度までの間に,第4次~14次の調査が実施されている。城内の建物は6尺5寸(197cm)を基準とした区割りによって配置されており,西側の表御殿と北東側の奥御殿は区画塀で仕切られている。建物は,表御殿と推定される大型の建物群や,若林城の廃城後に仙台城に移築されたと考えられる「大台所」と推定される建物跡をはじめとして多数の礎石建物跡が検出されている。これらの建物跡の周囲には雨落ち溝跡,石敷遺構,池跡などの施設も発見されている。遺物は土師質土器,陶器・磁器,金属製品などがまとまって出土している。また,廃城後には,検出された小溝状遺構群から,生産地として土地利用が行われたことが明らかにされている。なお,若林城期の整地層の下からは中世の屋敷を囲む溝跡や,奈良・平安時代頃の竪穴住居跡,円筒埴輪を持つ古墳(円墳)なども発見されている。

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