古代から近世にかけての遺跡。和田織部が築いたとされる近世城郭跡。
わだおりべたてあと
和田織部館跡
Wada-oribe-tate ato
解説
和田織部館跡は,市の東部にあり,JR中野栄駅の東南東約2.3km,仙台新港から南に約500mにある。標高約1mの浜堤列上に立地し,遺跡の面積は約36,900㎡である。古代から近世にかけての遺跡で,館跡を区画する土塁が現在も遺跡の北西側を中心に約0.5~0.8mの高さで確認することができる。また遺跡の北東側の道が屈曲した部分は「枡形虎口」が存在していた可能性が考えられている。遺跡は平成26年(2014)に震災復興事業に伴い初めて発掘調査が行われた。それ以前は,伊達家の家臣で貞山堀掘削や七北田川改修を行った和田織部が江戸時代に築いた城館跡として認識されていたが,調査の結果,古代の土坑および小溝状遺構群が確認され,土師器や須恵器などが出土したことから,遺跡の年代は古代にまでさかのぼることが判明した。また近世の土塁に付随する形で堀跡が発見されており,陶磁器などが出土している。土塁が構築された年代は,和田織部が蒲生に入部した頃であると考えられる。また土塁の内側からも平行する溝跡が発見されており,区画施設の可能性がある。