玉虫左太夫(たまむ・しさだゆう) 1 2 3 4 5 6
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帰国後,左太夫は,仙台藩の藩校・養賢堂(ようけんどう)の指南頭取(しなんとうどり)になるなど出世しました。
外国での体験を生かして,身分にとらわれずに国民が一つになって豊かで強い国づくりを急がなければならないと主張しました。
戊辰戦争が始まると軍務局頭取(ぐんむきょくとうどり)に任じられ,奥羽越列藩同盟(おおうえつれっぱんどうめい)をまとめ,会津藩を助けるためにいっしょうけんめい活動しました。
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慶応4年(1868)会津若松城を訪れ,松平容保と話し合う左太夫
白虎隊記念館所蔵「会津城勧和之図」をもとに作図<sugawara> |
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