以前,小鶴ヶ池の史跡標のようなものが立っていたという辺りを写したのが,左の写真です。現在,ほっともっとが立っている辺りからの撮影になるでしょうか。
風土記によると,このあたりに縦横200メートル×100メートルの池があったということなので,かなり広い池があったのでしょう。
写真右側の道路をまっすぐに進むと道路が上り坂のようになっているのが分かりますが,その一段高くなったところが新田東大橋です。
小鶴ヶ池の伝説 むかし,むかし,多賀城に大金持ちが住んでおった。この大金持ちは,たいそう欲が深く,この大金持ちのもとで働く者には,大変きつい仕事をさせておったのだそうな。 さて,この大金持ちの家で『小鶴子』という美人が働いておった。『小鶴子』は,乳飲み子をかかえておったが,ある日,苗代の種まきをさせられた。欲深な主人の命じたその田んぼは,あまりに面積が広かったのだそうな。そのため,種まきが終わった時には,背中の乳飲み子は,死んでしまっていた。母の『小鶴子』は,悲しみの余り,沼に身を投げて,子どもの跡を追ったのだそうな。村人は,これを悲しみ,それ以来,この沼を『小鶴ヶ池』と呼ぶようになったのだそうな。 現在,『小鶴ヶ池』の伝説は『浮面』(池に身を投げた小鶴子親子の顔が,水面に映るのでこの名があるといわれている。)や『小鶴』,『二度泣』という地名に残るのみである。(しかし,最近では『浮き面』や『二度泣』の地名を知る人はほとんどいなくなってしまったようだ) また,風土記によれば,この『小鶴ヶ池』は,縦横が200メートル×100メートルの広さがあったそうで,『浮き面』の地名が残る区域がちょうど同じくらいの広さである。以前史跡標(?)の立っていたあたりが,ちょうどその場所である。現在は宅地化が進み,池の面影は全くない。 |
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