江戸前期の多彩な染織技法と,帯の発展を示す貴重な資料
おび(みさわはつこしょよう)
帯(三沢初子所用)
Obi (Misawa Hatsuko Shoyo)
解説
Description
仙台藩三代藩主伊達綱宗の側室で,四代藩主綱村の生母である三沢初子(1640~1686)が使用した帯である。「総鹿子裂(そうかのこぎれ)」2枚と,「入日記(正徳二年四月)」1通が附(つけたり)指定となっている。三沢初子は,伊達騒動を題材にしたとされる歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の政岡のモデルになった女性と言われる。綱宗は21歳で隠居させられたため正室を迎えておらず,実質的に初子が正夫人として伊達家で重きをなした。帯は12条のうち,染に描絵(かきえ)が1条,染に繍(ぬいとり)が1条,染のみが3条,織文(おりもん)が7条となっている。特に雪輪(ゆきわ)を絞り染めし,春草を墨描きして構成した「白綸子地雪輪春草文様帯(しろりんずじゆきわはるくさもんようおび)」は,辻ヶ花(つじがはな)風の優れた染織技法を示している。女性の帯が表に現れてくるのは,服飾が近世以前の襲装束から小袖中心に変化した近世初期のこととされている。その初期の帯は,名護屋帯と呼ばれる組紐や幅の狭い帯であった。江戸時代中期から次第に今日のような幅広い帯へと変容していく。三沢初子所用帯は,初期の細帯から幅広い帯への過渡期の様相を如実に示すもので,この時期の帯の遺例が極めて少ないことや,江戸時代前期の多彩な染織技法を表している点からも貴重である。附指定の「入日記」は,初子が没して27年後の正徳2年(1712)のもので,この帯のことが記されている。 幅5.5~13.0cm 長さ109.0~298.5cm(仙台市博物館所蔵)