
地名の由来
住吉台という名前はどうしてついたのでしょうか。それは,団地の中央を貫く「市道住吉台線」が北側に下ってすぐのところにある西田中の住吉神社の名に由来するようです。もともとが丘陵地帯の小高い丘であったことから台という名前になったいうことを日本地所の方も語っておられます。
それでは,歴史的に住吉という地名が見られるようになったのはいつ頃でしょうか。泉市史(昭和61年11月発行)による住吉神社の由緒沿革には,~『風土記御用書出』にも,田中村の一村鎮守誰勧請と申儀並年月日ともに不明とあり,伝承として,黒川氏10世泰雲院義康との説や,早坂遠江との説があるがいずれにせよ不詳である。……大阪の住吉神社の神事に「お田植」の行事があり,田舞,風流,植女舞,早乙女舞,住吉踊などがあるので,西田中の住吉神社も農作業(田植え)の神様として祀ったものと思われる。~と書かれています。
このことからも分かるように,住吉神社がいつ頃,誰によって造営されたのかは,分かりません。神社の境内には,大人の背の高さくらいの石碑がいくつもありますが,その祀られた年号を見ると,文化,文政,弘化など,江戸時代後期のものが多いようです。
しかし,伊達政宗が現在の青葉城を築く以前に,この付近一帯を治めていた国分氏の所領は33ヶ村あり,その中のひとつにすでに西田中の村名を見ることができます。またその中に住吉という住所があり,そこに2軒の家があったことが分かります。このように見ていくと,住吉の地名のもとになった,住吉神社はもっと古い時代にこの地に造営されたようです。
