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鹿踊は稲の害虫を退治するため、また剣舞は盆の念仏供養として行われますが、この地では両者が一体となって保存されており、毎年旧暦七月七日に行われています。
剣舞は4曲で勇壮に踊られるのが特色です。仙台城下八幡堂に伝わっていた鹿踊と剣舞が川前に相伝されたもので、藩から鹿踊の幌幕に絹布の使用を特に認められたといわれています。 |
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福岡の鹿踊・剣舞は、藩政時代に仙台城下八幡町龍宝寺が管轄した八幡町の鹿踊・剣舞が伝わったものであるとされています。
複雑な演舞の技法が正確に伝えられており、装束、唯子、踊歌、舞振等の様式や慣行は、修験道の古い信仰の形を残しています。 |
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滝原の顕拝(けんばい)は、念仏踊を源流とする古態の念仏剣舞である仙台剣舞のなかでも独特の芸能をみせ、「顕拝」と書いているものは他にありません。
他の仙台剣舞がいずれも鹿踊と一対となって伝承されているなかで、「滝原の顕拝」と「野口の鹿踊」がそれぞれ独立して伝わっています。 |
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上谷刈に伝わる鹿踊・剣舞は「福岡の鹿踊・剣舞」と同じ由来をも持ち、ほぼ同時期に八幡町龍宝寺籐九郎より伝承されたものとみられます。
藩政末期の元治元年(1864)に中断したのをはじめ、その後も何度か中断と復活を繰り返し、昭和39年(1964)に現在の保存会が結成されました。 |
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泉区大沢に伝わる田植踊であり、仙台藩二代藩主伊達忠宗が上覧したという言い伝えがあります。
この田植踊は古い形態を残しており、成人男子が振袖姿の早乙女に扮装して踊るところなどに特徴があるものです。 |
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愛子の田植踊とは、仙台と山形を結ぶ関山街道(現在の国道48号線)の宿町場であった愛子に伝わる「弥十郎(やんじゅうろう)」系の田植踊です。
その年の豊作を祈願するとともに、近在の集落を踊り歩いたといわれます。 |
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安永年間に大倉民部が小倉神社を再建した後、武運と天下泰平、五穀豊穣を祈願する踊りとして住民により伝えられてきたものとされています。
小倉神社の秋祭りに子どもたちによって踊られていましたが、近年は子どもの減少で難しくなっています。 |
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仙台市秋保町には長袋、湯元、馬場の3地区に田植踊りがあり、総称して「秋保の田植踊」といわれます。平家の落人(おちうど)がすみついたとされる長袋の田植踊りは褒め言葉の場面を得意としています。
平成21年(2009)にユネスコの無形文化遺産に登録されました。 |
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太白区茂庭の生出森八幡神社に伝わる神楽であり、名取市の熊野堂神楽を源流としています。
熊野堂神楽は、仙台及び宮城県南部に分布する神楽の祖ともいわれ、生出森八幡神楽は、その古い形態を今に伝えています。 |
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早池峰神楽は、大償(おおつぐない)地区と岳(たけ)地区の2つの神楽の総称です。
岳の早池峰神社に文禄4(1595)年と記された獅子頭があることや、大償に早池峰山の修験先達をつとめた家に伝えられた長享2(1488)年の神楽伝授書があることから、南北朝時代にまでさかのぼり、500年以上の伝統を持つ非常に古い神楽だといわれています。 |
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法印神楽は、仙台藩の北部に分布し、在地化した修験の神楽です。
雄勝法印神楽は「浜神楽」に属し、その中でも、娯楽性と華麗さが加わった桃生神楽の典型的な芸風を踏襲し、しかも威厳のある風格が備わり、厳しい修法の香りが漂う独特の神楽だといわれています。 |
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仙台市宮城野区岩切の「県民の森」にある青麻神社に伝わる神楽は、仙台市周辺より仙台藩領に伝来した十二座神楽の一系統で、文化4年(1807)に青麻神社の神主が京都の神祇官総領・白川神祇王家より伝授されたとされます。
以前は利府入菅谷の12家より伝承されてきましたが、昭和50年(1975)からは岩切青年団を主体とする保存会により伝承されています。 |
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昭和2年(1927)に七郷神社に神楽殿が建立された時、当時の氏子たちが木ノ下白山神社丹波神楽(仙台市登録無形民俗文化財)から伝承を受けた神楽です。
舞人の鎮魂除魔の足踏みなど、修験の呪法とされるしぐさが随所に織り込まれ、古来の神楽のあり方を引き継いでいます。 |
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